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Archive for 5月 12th, 2016

益城町訪問

錦ヶ丘教会訪問後、益城町総合運動公園を訪れた。

熊本YMCAが避難所の中心的な運営を担っている。
県道28号線を通って、益城町に入る。

次第に倒壊した家が増えてきた。跡形をとどめないほどに破壊されたある家の前には、菊の花が備えられていた。

熊本YMCAの神保局長曰く、地震発生直後は、普段5分で行けるところが瓦礫にふさがれて、その7倍以上かかったそうだ。

住民の避難所となっている益城町総合運動公園に着いたのは、夕方だった。

屋外で働いていたボランティアの皆さんが次々と帰還してくる。

凹凸だらけの駐車場には、避難者の方々がつくる長い列。列の先には、食事を準備するボランティアの皆さんがいた。

車を停められる駐車場を見ると、車をとめる枠内にそれぞれ、ペットボトルや自転車、バケツに漬けた鍋といったものが置いてある。

放置されているわけではない。避難所の入り口には「乗用車で快適に眠る方法」というプリントが貼られていた。

誰もが非常に忙しい時間帯であったため、受付にいらっしゃったYMCAのスタッフにご挨拶だけして失礼した。

報告 望月麻生

錦ヶ丘教会訪問

錦ヶ丘教会  重いパイプオルガンが地震でずれた。

 

高く白い塔の頂には、十字架が掲げられている。

錦ヶ丘教会の塔である。しかし、この美しい塔は地震で深刻なヒビが入り、近い内の撤去を考えざるをえないという。

界隈ではひとつのランドマークとして親しまれているだけに、次はどうしようかと川島直道牧師は思案している。

川島牧師は現在、熊本地区の地区長として、大きな責任を担っておられる。幾つかの教会を兼務しつつ、広範囲に住まう教会員さんの安否を確認しながら、八面六臂の日々を過ごしている。

地震のあと、揺れがこわくて家に入れないという方々は少なくない。

二度の激しい揺れは、恐怖そのものだった。

教会の周辺の家やアパートも被害を受けている。錦ヶ丘教会も、重たい洗礼盤が吹っ飛び、講壇が壇上から落ち、パイプオルガンは位置がずれた上に中のパイプが手に負えない状態となった。また、近隣の方が集うちょっとした避難所となった。

買い物ができず、食料も調理方法も限られる中、ご家族は食事を提供することに必死だった。「とにかく、食べることが大変だった」と、ご苦労を語られた。

ゴールデンウィークに一家で初めてお休みをとるまで、ご夫妻はどちらかが必ず教会にいるようにしていた。震災発生後、蓄積し続ける牧師の疲労をケアしていくことが大事であると、川島牧師は語られた。

また、震災に伴い、今まで教会を熱心に支えてくださっていた教会員さんたちが遠隔地へ移り住むこともめずらしくない。このことが、やがて教会に大きく影響すると、熊本地区にある教会の牧師たちは懸念を抱いている。

報告 望月麻生

熊本城東教会訪問

5月11日の午後2時頃、熊本城東教会に伺った。

熊本市電が盛んに行き交う電車通りこと県道28号線、水前寺公園の近く。一歩入れば、閑静な住宅地が広がる。

そこに熊本城東教会はある。 伺ったとき、幾人かの信徒さんが会堂の清掃にいそしんでいらっしゃった。

出迎えてくださった中村英之牧師によれば、水曜日の祈祷会を終えてそのまま、一緒に震災の後かたづけをなさっていたとのこと。

中村牧師の前任地は山形である。

2011年に東日本大震災を経験してから、熊本へ赴任なさった。

先月、あの激しい揺れ以来、牧師ご一家はしばらく、避難所と築30年の牧師館とを行き来しながら生活をされた。

避難所となっていた近隣の小学校は、当時1,000人を越す人たちであふれていた。体育館のみならず、

教室も使用しながらの避難生活であった。

隣の益城町には物資も人も行き届いていたが、牧師のおられた避難所では、

水も食料も寝具もまったく足りなかった。

全国的に広く報道された場所とそうでない場所の差を、残酷なまでに感じたという。

教会員さんは皆無事だったが、益城町にお住まいの方は、お宅が壊れて住めなくなっている。

現在、教区や地区と話し合いながら、今後の対策を練っているとのこと。

報告 望月麻生

由布院教会訪問

由布院教会は、由布岳を間近に仰ぎながら建つ。
由布院は言わずと知れた国内屈指の温泉地。駅からほど遠くないこの界隈は、可愛らしい商店が軒をつらね、旅行客が散歩を楽しんでいる。
それでも、由布院の町を眺めると、ブルーシートで覆われた屋根がいくつも見える。

5/12の午前中、由布院教会の黒田恭介教師をお訪ねした。
幼稚園とおなじ敷地内に建つ、由布院教会の会堂。
真っ先に目に飛び込んでくるのは、会堂の壁に貼られたブルーシート。そこには手でも揺らせるほどの大きな亀裂が入っている。4/29、大分の地区総会から帰ってきた黒田教師が真っ先に目にしたのは、この亀裂だった。
この亀裂に加え、天井が落ちる危険性は非常に大きいという。建築士から、改築を強く勧められている。

4/15ー16にかけての大きな地震だけでなく、4/29に由布院近辺で起きた震度5の地震が、決定的なダメージだったという。
教会員さんは全員無事とのこと。

5/3ー4の九州教区総会に出た黒田教師は、教区がひとつとなって、今回の震災について考えてくれていることを、あらためて実感したという。

報告 望月麻生

熊本YMCA訪問

熊本YMCAに置かれていたボランティア日誌

 

熊本城を囲む深い緑に、崩落した石垣が姿をのぞかせる。
車のナビは、熊本YMCAへ向かうのに熊本城公園内を通行するのが一番の近道だと示している。しかし、目の前を通行止めのポールが阻む。

回り道の車窓からは、ブルーシートに覆われた屋根がいくつも見える。

5月11日、午前10時過ぎ、加藤誠幹事と望月は、熊本YMCA総主事・岡成也氏と本部事務局局長・神保勝己氏にお会いした。お二人とも多忙を極めておられたが、あたたかく迎え入れてくださった。

熊本YMCAは現在、熊本県内2カ所の避難所を運営している。

ひとつは益城町総合体育館、もうひとつは御船町スポーツセンターである。いずれも、熊本YMCAが指定管理を担う施設だ。

神保局長は4月14日の地震発生からほぼ三週間、休むことがなかったと言う。各地と連絡を取り合い、現場指導にあたり、道路状況の悪いなかで現場を訪ねた。

14日の地震から不眠不休の日々が始まったが、16日午前1時25分に起きた「本震」で事態は更に深刻化。

熊本YMCA本部をはじめ、圏内各地にあるYMCAの施設に被害が出た。

職員の方々は自身も被災しながら、車で寝泊まりしながら出勤し、復旧にあたった。

熊本YMCAは地域から強く信頼されている。

地域にいち早く入り、介護を学ぶ学生が高齢者の入浴や食事の介助をした。また、人脈を通じて、阪神大震災や東日本大震災を経験した人々が現場に関わったことは大きかったという。震災は先が長いものである。

避難しておられる方が健康的で快適な「生活」をするために、皆で体操をしたり、お茶を飲む場を提供したり、様々な工夫をしている。

地震発生から時間が経ち、現場のニーズも変化していく。そのニーズをうまく捉えていくこと、また、様々な事情で避難所での生活がしにくい方々、支援が必要なのにその存在が見えづらい方々への長期的な働きかけが必要とされている。

地域的にボランティアの数が足りていないことも課題としてあげられた。益城町や御船町は熊本市内から比較的行きやすいが、阿蘇は遠いため人が集まりづらいという。

南阿蘇村等でボランティアのニーズは高い。

そして、職員やボランティアへのケアが求められている。

ご自身らも被災しながら働く方々に寄り添い、傾聴する存在が必要とされている。

先の長いプロジェクトを運営していくために、たくさんの人や資金が必要になることを視野に入れ、熊本YMCAは国内外に協力を呼びかけていくという。

震災発生からひと月ちかく。「もう」ひと月ちかくではない。

これから取り組みは始まったばかりである。

報告 望月麻生